あの時とは!今の事!!

体力に自信を無くしている方に朗報!

ライス米国務長官のお手並み拝見

ライス国務長官は、イスラエルパレスチナの和平に動いている、成功すれば、アルカイダやその他のテロ組織の大義名分がなくなる可能性がある。

ゆがんだ見方かもしれないが、9・11同時多発テロの根っこはこのイスラエルパレスチナに凝縮されているように思っている。

欧米特にアメリカ・イギリスはこの地域の紛争に関連し、常にイスラエルを支持してきた過去を持ち、それが、アラブ社会に反アメリカ、イギリスの土壌を作り出したように思う。

ここが、和平協定を結び、紛争が亡くなれば少し社会も落ち着くと期待したいのだが、多分無理な事だろう、国益と言う大義名分で、戦争は続く事だろう。

誰が望んでいるのだろう、国益の為の戦争を、犠牲になるのは一般市民が圧倒的に多いのに、何が国益なんだろう。

明るく面白い情報がありました。

それはメルマガを購読しているのですが、読んでいるととっても面白く一人で笑ったり、最後には大切な親子の結びつきが表現されていて、とても清清しい気分に成れました。

以下に前文を紹介します、決して発行されている方に依頼されたわけではないのですが。

越智花子は幼い頃から、父・桂造と仲が悪かった。

 「産まれた時に、友達が花を持ってお祝いに来てくれたのが
  とても嬉しかったので、花子と名付けた」

 そんな安直な理由で名前を付けられたと聞かされてはいたが、
 その名前が元で、小学生の頃に
 「トイレの花子さん」だの「ジャストシステムの花子さん」だの
 周囲にいじめられ続け、父親を心底憎んでいたのだった。

 父親もそのように反発する花子を事あるたびに怒り、 
 なお一層花子は親に対して反発をするようになった。
 母の瑞恵はオロオロするばかりで、この確執を止められない。


 高校を卒業してからさらに桂造との衝突は過激になり、
 大喧嘩の末に「絶対にここには帰ってこない!」と言い放ち、
 花子は故郷の愛媛県西条市から、単身東京に旅立った。

 東京の大学に行っている友人の家に転がり込んだ。
 その友人が近くのフラワーショップでアルバイトをすると言うので、
 花子も「自分の名前は花子だしなぁ…」という単純な理由で
 一緒にそこでアルバイトをすることにした。


 やがて自分でも部屋を借り、フラワーショップで5年間働き続け、
 花にまつわる勉強も積み、やがて独立を決意した。

 そして、自分の店を開店することにした。
 開店資金として貯めた貯金もあまり多くはないので、
 品川区大井町の人通りの多くない小さな場所を借りた。
 寂しい場所だが、花子は夢に満ち溢れていた。

 花といえば春、という理由で、開店日を立春の2月4日に決め、
 念願の自分のお花屋さん「品川フラワーズ」をオープンした。


 開店したものの、初日はなかなかお客さんは来なかった。
 少しずつ不安になっていた時に、注文の電話が鳴った。

 花子は飛び上がって喜んだ。

 「はい、1万円分のお祝いのフラワーギフトですね!
  すぐにご用意させて頂きます。
  それでは、ギフトのお届け先を教えて頂けますか?
  東京都…品川区…、品川フラワーズ?」

 自分の店の名前だった。
 花子は一瞬首を傾げたが、その声の主をすぐに思い出した。

 「お父さんでしょ!悪い嫌がらせはやめてよね!」
 「なんだ、この店は客に文句をいう花屋なのか!
  だいたい品川フラワーズって。野球チームの名前みたいだな」
 「うるさい!二度とかけてくんな!」

 花子は込み上げてきた怒りに任せて電話を切った。
 開店初日から嫌な想い出が蘇り、曇った気分になった。


 翌日、銀行に行って通帳を記帳してみると、
 桂造から1万円が入金されていた。
 
 「絶対嫌がらせだよ、コイツ…」

 初めての売上の相手が憎んでいる父親からだと思うと
 また少し怒りが込み上げてきたが、
 店に戻ってから気を取り直し、
 1万円分のフラワーギフトを作って、店先の棚に飾ってみた。

 それを眺めてみると、怒りは少し静まって、
 少し嬉しさのようなものが込み上げてきた気がした。

 「よし、アホな親父の嫌がらせは忘れて、頑張るぞ!」



 やがて、桂造はガンを患い、松山市の病院に入院した。
 妻の瑞恵が付きっきりで看病した。

 ある日、病室を埋め尽くすほどのポインセチアが届いた。
 送り主は、オチハナコと書いてあった。

 「あのバカ娘、まるで嫌がらせだな…」
 大量のポインセチアを見ながら、桂造は怒った口調で言った。

 瑞恵は穏やかに返した。
 「あのコも、きっと心の中ではお見舞いに来たかったんですよ」

 「何がお見舞いだ。ポインセチア花言葉は『祝福』だぞ。
  嫌がらせ以外の何ものでもないだろうが!」
 
 プンプン怒りながら窓の外に目をやる桂造。
 こっそり花言葉を勉強していることに、瑞恵はクスッと笑った。

 瑞恵には、娘がポインセチアを贈ってきたのは、
 今日が両親の結婚記念日だからだということが分かっていたのだ。



 都内に5店舗を展開するに至った品川フラワーズは、
 創業6年目にして、念願の銀座店をオープンすることになった。

 「ありがとう、と両親に素直に言えない人は、
  そっとフラワーギフトを贈りませんか」

 越智花子が提唱した、フラワーギフトによる
 両親への「無言の感謝の贈り物」というスタイルは、
 核家族社会から都会単身社会へ変遷する現代に大きく共感を呼び、
 疎遠になりがちな親子間の溝を狭めるものとして注目された。

 そして、品川フラワーズの手がけるフラワーギフトパッケージは、
 ネット販売を中心に多くの若者世代に爆発的に浸透していった。

 29歳の若き女性社長が、銀座に出店。
 格好の映像になるからと、たくさんの報道陣が撮影・取材に来る。

 「越智社長も、ご両親にも感謝の気持ちでいっぱいでしょう」
 などと記者が尋ねるが、花子は一貫して、
 「実は、私は両親とはケンカ中です」と答えた。
 そのサバサバした受け答えが、映像的に世にウケた。


 「ただ、私が一番感謝しているのは…」

 この質問になると、必ず最後に花子はこう答える。

 「私が一番感謝しているのは、初めてのお客様です。
  創業日だった6年前の立春の日、
  あの注文がなかったとしたら、今のお店も私もありません。
  忘れようとしても忘れられない、大切なお客様です」

 そして、その感謝の気持ちを誰かに伝えるかのように、
 若き女性社長は、カメラに視線を向けて微笑むのだった。



 ミカンの甘い香りが漂う、穏やかな瀬戸内海を望む高台に、
 その「初めてのお客様」は眠っている。

 瀬戸内の温かい陽差しに照らされた小さなお墓。
 感謝を表すたくさんの花が、この墓を飾らない日は無い。

『ビジネス発想源』  発行者:弘中 勝
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