あの時とは!今の事!!

体力に自信を無くしている方に朗報!

悔しさと言うばね

子供たちに、学校で競争をさせない教育の弊害が指摘されている、最近聞いた話だが運動会で、走り終えた子供たちに順位がない、と言うのはよく走ったねと走り終えた子供たちを温かく迎えるだけ、既に、運動会でも一着やった、とか、べべたこやったと言う会話も失われている。

果たして、この環境で育つ子供たちに悔しさがあるのだろうか、運動会では勝てなくても、この事には負けない、勉強できなくても走ったら負けないとか、そういう事が大切だと思うのだが。

負けない人間なんて、存在するはずがない、教育現場は負ける事の悔しさ、勝つことの喜びを一から教えるべきだ、負けることを知らない子供たちは、普段考えも出来ない、切れたとか言って想像できない行動に走ってしまう、走らせているのは大人なのだ。

今の教育現場に欠けているのは、たくさんあるが、先ず親だ、学校へ預けるのだから先生に手を掛けられたくらいで文句を言うべきではない、先生の行動にクレームをつける親の共通点は叱る事を知らない親達だ。

手を掛けられ始めて痛みを知るのだ、そしたら、これ位すれば相手はこれ位傷つくという事を知り、一種のブレーキの役目を果たすものだ、叱る大人が必要だ、いつでも子供は競争を知らず勝つことだけ覚えれば、育つ過程でどの様になっていくのか位想像できる事だ、ゲームでは常勝軍団となっている。

せめて、叱ることを知らなければ学校の先生に任そう、クレームを言うなどもっての外だ、そしたら先生方も、文字通り義務感に燃えた多くの先生方を排出する事につながると思う。

クレームを言ったりしていれば、先生から見れば、内にも外にも敵ばかり、素直に言う事を聞く子供はめっきり減ったように聞き及ぶから、先生も孤立する一方だ。

ビジネスの成功者も、あの時の悔しさがばねになったとか、あの失敗から得られる事が大きかったとか、発言する、成功する人は、しない人よりも失敗や、悔しさを経験しているものだ。

人間として、生まれ競争原理のない社会などありえない、だったら子供の頃から健全な競争原理の中に入れてあげるほうが良いと思う、大切な事は負けた、失敗した事から学ぶ姿勢を教える事だと思う。