楽しさを持つ事
楽しさとは、一体なんだろう、その言葉の意味が分かるようでわからない。楽しさを求めれば、結果的に苦しき事に突き進む事になりかねない、楽しさとは、一種の中毒のような物で、楽しさを求めれば、崩壊が待っていると承知していても抜け出せない事が多い。
パチンコや競馬などのギャンブルもその類だろう、その時は、楽しくても結果的に苦しみを持つ人が多い、楽しむ事には節度をルールとして、わきまえねばならず、自分を厳しく律するだけの性格を作り出さねばならない、楽しみだけを求めれば、後に困難が訪れる。
楽しさとは、心の中にあるのではないだろうか、考え方ひとつ変えるだけで結構楽しくなれるものだ、それを柱としながら、楽しさを求める事があっても、環境は大きく変わらない。
例えば、子育ては苦しさや、根気や忍耐が必要だ。子供の為に自らの欲望を押さえ込み、立派に家庭の為に尽くす方が多い、その苦労もその子供から子供が生まれたとき、満足感一杯になれると思う、長丁場の事だが、これらの事を楽しさと言うのではないだろうか。
大切な事は、仕事をしていても、家事をしていても、自分に負けそうになった時、それを、乗り越える事を楽しさとおきかえてはどうだろうか、そしたらどんな境遇にいてもそれなりに楽しく毎日を送る事が出来るのではないだろうか。
そんなこと出来るはずないと反論がある事は承知で記しました、楽しさを求める代償が家庭環境破壊となる結論をたくさん見てきたので、あえて理想論を書きました。